国宝茶室 待庵



現在国内には国宝の茶室が三棟あります。待庵、犬山の如庵、大徳寺の密庵であり、利休の作として伝えられる確かなものは待庵のみとなっていて、にじり口が設けられた小間の茶室であり、数寄屋造りの原型となっています。

当庵三世功叔和尚の折、天王山の合戦がおこり秀吉は山崎にいたり、陣を敷き陣中に千利休を招き二畳の茶室を作らせた。利休は功叔和尚とともに秀吉に茶を点じ、労を慰めたといいます。その後茶室は解体し当庵に移築したといわれている。
ただ、秀吉の命で当初からこの場所に造ったとか、利休屋敷にあったものを移築したともあります。陣中にあったとすれば、合戦終了後城を取り壊されてから移されたものでありましょう。

いずれにせよこの茶室は利休独特の構想で建てられ、現存する茶室としては最古の遺構であります。

屋根は切妻造りこけら葺きで、重文書院の南側に接しています。

この茶室の掛け込み天井と棹縁天井の組み合わせと、床の間の隅や天井を塗りまわした「室床」の構造から、二畳ではありますが意外と広く感じられます。
にじり口の造られたのは待庵が最初で、室内の明るさを考えて連子窓の大きさ(全ての窓の大きさは違います)、下地窓の配置などが決められました。にじり口はやや広く、淀川の屋形船の入り口がヒントとか・・・。
下地窓とは独特の手法で、壁下地を塗ってしまわずに開けておいて窓としたものです。待庵の下地は淀川のヨシを使っているそうです。

またにじり口の手前上方には今はありませんが、刀掛けがあったとか。帯刀したお侍さんがにじり口から入る時には、腰の刀は邪魔ですし、帯刀せずに主客が相対する・・・っていうところに当時の趣向があったのかもしれません。


内部は二畳敷きでそれまでの茶室の「四畳半」の概念を打破しております。特徴の一つには壁の塗り方がありますがワラスサを表面に出した塗り方となっています。柱は北山杉の丸太で、簡素な材を使った侘びの茶室であります。
山崎の地は竹が多いので、掛け込み天井にも竹がたくさん使われています。掛け込み天井とすることで、二畳でしかない圧迫感を和らげ天井板は杉の野根板を使って清楚な感じとなっています。

上の「待庵」の額は、江戸中期の東福寺派光通寺住職の筆でありますが、元は利休筆の額があったとか。現存すればすごいものだったでしょうに・・・